道鏡

えー、『道鏡』というお噺をば一席うかがいますが・・・・。
この、男性というものはすべからく、自分のもんが大きいとか小さいとか、自分の持ちものをとかく気にする方が多いようですナ。
なんかこの・・・週刊誌やなんかの身下相談なんかを見ましても、
自分のは短小ではなかろうかちゅう悩みがずいぶん出ておりますようですが、
まァ大きいということになりますと、
古来、このわが国では弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という人がいちばん大きかったそうで、
これは丹波国弓削村(たんばのくにゆげむら)の生まれやったと申しますが、おもしろいですナ。
エー、川柳と申しますものはずいぶんおもしろいことを申します。
弓削村で面(つら)じゅう鼻の子が生まれ
てなことを申します。
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鼻の大きいのはあそこが大きいんやそうですナ。こらァどなたがお決めになりましたものか、昔から鼻の大きいのはあそこが大きい、え、口の大きい女性はあそこが大きいてなことを申しますが、
弓削村で面じゅう鼻の子が生まれ
なかなかおもしろい川柳で、弓削道鏡が生まれたときは顔じゅうが鼻やったと申しますんですから恐れ入りますナ。
さて、そういう子供がでけてみなはれ、そらもうおかあちゃんてなもんは心配でしょうがない。「こんな大きいのン、これどうもないやろかしら・・・」
えー、われわれ小さい時分に、よくみみずにおしっこをかけると、あそこが腫れるてなことを申しましてナ、また事実みみずというのは電波みたいなもんがあるんやそうで、この電波がおしっこを伝わってらっきょみたいなもんの先ィ、ビビビッとこうくるんですナ。それであれが腫れるてなことを申します。ほんまかうそかわかりませんが・・・・。
えー、で、またこのみみずにおしっこをかけて腫れあがったやつは、このみみずに「ごめんなさい、ごめんなさい」ちゅうてみみずを洗うてやりますと、これが癒(なお)ると、こう言う。ですからよく道端でおしっこをするときには、われわれ子供の時分に、「めめずも蛙も、どなたもごめん」ちゅうておしっこしたもんですけども・・・・。
えー、川柳のほうでもやっぱりそれを申しますがナ、
数千のみみずを洗う弓削の母
という川柳がございます。こらァもうおかはんもえらいこっちゃったでしょうナ。こんな大きいのはどこでみみずにおしっこをかけよったんかしら、またどこの道端でおしっこをしたときにみみずにかかったんかしらと、母親は心配で村じゅうのみみずを取ってきて、壺へいれましてナ、これをパーッと壺の中で洗うたというぐらいのもんで、そのときにさわってみた感触が自分のンとあんまり似てたんで、弓削道鏡のおかはんは、
「ははァ、するとあたいのはみみず千匹かしら・・・・」
そんなこと思うたか思わんか知りませんが、
村じゅうのみみずを洗う弓削の母
という川柳もあるぐらいでございます。かなり大きかったんでございましょうなァ。
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公開日:
最終更新日:2018/08/12